2018-12-06 第197回国会 参議院 厚生労働委員会 第8号
簡単に言いますと、拡張型心筋症で、もう心臓の機能が弱くなっているのを、カテーテルを使って、左心房と左心室の間のゆるゆるになった僧帽弁をちょっとクリップを掛けてということなんですが、これをやっていて、途中でうまくいかずに中断してやめた、その十六日後に亡くなったという事案ですね。これ、字が小さくて申し訳ないんですが、じっくり読んでいただきたいと思うんですけど。
簡単に言いますと、拡張型心筋症で、もう心臓の機能が弱くなっているのを、カテーテルを使って、左心房と左心室の間のゆるゆるになった僧帽弁をちょっとクリップを掛けてということなんですが、これをやっていて、途中でうまくいかずに中断してやめた、その十六日後に亡くなったという事案ですね。これ、字が小さくて申し訳ないんですが、じっくり読んでいただきたいと思うんですけど。
去年の七月に、大阪大学病院が、自らの細胞をシート状に培養して心臓に貼り付ける移植手術を受けた心臓病の十一歳のお子さんがその七月中に退院することになったとの報道があったわけでして、このような拡張型心筋症の根本的な治療は心臓移植しかないということらしいんですけれども、このような画期的な治療法が開発されたこと自身、私自身、野田政権時代に内閣府においてこの担当として、非常に感慨深いものがあったというふうに思
お尋ねの、自己負担限度額千円に該当する難病の患者は、ALS等で人工呼吸器を装着している患者、それから拡張型心筋症で体外式補助人工心臓を装着している患者を想定しておりまして、患者数は約一万人と試算をしております。
四月四日、長野県安曇野市の県立こども病院は、これまで心臓移植でしか救うことのできなかった一歳以下の乳児の拡張型心筋症に対してペースメーカー治療を五例実施し、四例で成功したことを発表いたしました。まさに、医学の進歩が、これまでできなかったことを可能とした例でございます。
その日の夕方に家族が呼ばれて、病名は突発性の拡張型心筋症、余命は約三年、ただし移植をすれば助かる可能性がありますという宣告を受けました。四十六歳の誕生日を迎える十日前でした。 こうして、私の四年半に及ぶ闘病生活が唐突に始まりました。 それでも、最初のころは余り切迫感もなくて、これも運命かなとか、そのうち何とかなるだろうと結構気軽に構えておりました。
ただ、拡張型心筋症に関しましては八割程度であります。
それは実は、拡張型心筋症であるとか、先天性心疾患でも左室低形成という非常に重症な疾患によってやや予後は異なっておりますが、平均としてはそれぐらいになります。 ただ、この成績は一応世界で一番いい成績ですので、世界全体の平均値ということをとりますと、もうちょっと悪くなります。五年生存率が七割ちょっとぐらいだと思います。それで、十年になりますと、やはり六割というのが世界の平均だと思います。
現在、私どものところでも再生医療と称して、心膜シートを心臓へ張りつける手術を拡張型心筋症で行っておりますが、これはあくまでも、薬がある程度効いて、人工心臓をつけて、外せるか外せないか、もうぎりぎりのところの患者さんに行う医療であって、拡張型心筋症そのものを治す治療ではございません。 よく報道で間違って、これがもう変わるというようなことを書かれておりますが、こういうことはございません。
拡張型心筋症は、いつどのように、どなたに起こるかわかりません。我が国では、B型肝炎、C型肝炎のウイルス感染者は、五百万人とも六百万人とも言われております。糖尿病患者は千三百七十万人と厚生省の統計に載っております。これらの疾患が悪化しますと臓器移植が必要となります。いつ御家族や、いや御自身がこれらの病気になり、移植が必要になるかわかりません。
これも二、三日前の新聞なんですが、多摩市で生後八カ月の女の子なんですが、石榑愛ちゃんという子供が、拡張型心筋症で余命半年と診断されております。米国で心臓移植を受けられる、この受け入れ先が決まっておりまして、今両親の友人たちが寄附を募っている。米国で移植手術を受けるためには、手術費や渡航費などで約一億三千六百万円必要だということであります。
○江田分科員 私も、調べてみますと、それこそ両制度に共通のものは、特発性血小板減少性紫斑病とか特発性拡張型心筋症、表皮水疱症、原発性免疫不全症候群、原発性肺高血圧症、亜急性硬化性全脳炎、ライソゾーム病、副腎白質ジストロフィー、八つございます。ということは、五百の中で八つは成人になってからも制度上カバーされるわけですけれども、それ以外、ほとんどですけれども、そこがカバーできない。
次に、拡張型心筋症のため移植を受けた心臓移植者都倉邦明君からは、移植手術前には五年間入退院の繰り返しだったが、昨年二月にアメリカで移植を受け、現在は拒絶反応もなく元気な体に回復していること、臓器移植については、立法により、手術を待つ人の期待、希望にこたえるべきこと、移植を受けた者としては、せっかくもらった命をいかに社会に貢献できるかを考えていること等の意見が述べられました。
当時の病名は拡張型心筋症という病名でございました。一九九六年、平成八年二月十四日にアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ、シャープ記念病院で移植をいたしました。 その後、リハビリをやっておりまして、昨年八月の中旬ぐらいに日本へ帰国いたしまして、ことしの二月十四日でちょうど一年目の検査を受けました。それで、私は今のところ拒絶反応も何もないという結果が出ております。
○政府委員(小林秀資君) 従来、心臓移植手術の適用があると言われます拡張型心筋症に対する治療法といたしまして、拡張した左心室の壁を一部切除いたしまして、そして左心室の容積を小さくし、血液を送り出す力を高めるために行われている、いわゆるバチスタ手術についての評価のお尋ねでございますが、アメリカにおいて実際に心臓移植を行っていた日本人医師によりますと、心臓移植を行うまでの橋渡しとしての意義はあるが、移植
○小林(秀)政府委員 心臓移植の場合、まずどういう患者さんが一番待っていらっしゃるかということですが、選択基準ですが、心臓の場合ですと、拡張型心筋症、これは何人おるかということはわかりませんけれども、平均年齢は大体四十歳程度の方が待っていらっしゃるということです。それから虚血性心筋症、この場合は大体七十ないし八十歳代の方が心臓移植を待っていらっしゃる。
それから、三年前に、埼玉県で、私の知人の娘さんが拡張型心筋症という病気になりまして、心臓移植しなければもう一年もたないだろう。親にとっても大変なことでございまして、ちょうど九歳ぐらいでございましたのでかわいい盛りで、本当にどうしたらいいだろう。でも、サラリーマンで、お金は、とても海外へ連れていくほどありません。それで、みんなで寄金を募りまして、そしてドイツへ行くことができました。
私の自己紹介にもう一度戻らせていただきますが、私が移植を受けなければならなくなった原因、拡張型心筋症という病気なのですが、これに侵されたのは一九九〇年、平成二年でした。当時私は二十、仕事についたばかりで、やっと半年ほどたちまして、仕事の内容を覚え始めて、まさにこれからおもしろい、仕事をするのが楽しいと思えるようになり始めた時期に病気で倒れてしまいました。